「もっくん、どっち食べる?」
夫婦なのになぜか名字をあだ名で呼んでくる妻に心の中でツッコミを入れつつ、
たまーの家族サービスで差し入れたケーキが4つ。
よくある家族だんらんの風景だ。
そのうち2つのケーキは早々に娘(小学生)と息子(高校生)が許可もなく選び取り、
許可もなく食べ始める。
そしていつものように箱の中には残りが2つ。
キラッキラのフルーツがひしめき合うように乗った季節の限定ケーキと、
癖があって少し苦手な抹茶のケーキだ。
やや緊張感あふれる表情を浮かべた妻が、
試すような優しい声で聞いてくるお決まりのセリフがこれだ。
「ねぇ、もっくん、どっち食べる?」
このセリフを聞くと、僕は自分の意志とは関係なく
「こっちでいいよ」と反射的に言い返してしまう。
“こっち”というのは、抹茶のケーキ。つまり、僕が“食べたくない方”だ。
「どっち?」と言われると、どうしてもイヤな方を選んでしまう。
この癖は、子供の頃からはじまり、もはや抑えられない衝動ともいうべきもので、、、
なぜ僕はいつも望まない方を選んでしまうのだろうか。
僕は“食べたくない方”だということを誰にも悟られない様に、おいしそうにケーキを頬張る。
(実際に「おいしいね!」などと心にもないことを口にしながら。)
そして、本当は僕が食べたかった“キラッキラな方”を妻が淡々と食べる。
妻は何も言わずに無表情に下を向いたまま食べ終わる。
そして次の瞬間、本日最大級の残念過ぎるセリフが僕に襲い掛かる。
「ホントはそっちが良かったなぁ。。。」
なにー!なんてこった!!
えっ?嘘でしょ!!
こっちはあえて遠慮する気持ちでおいしそうな方を妻に譲ってあげたのに。
ずっとおいしそうな方を見つめながら、食べたくない方をガマンして食べたというのに
。。。僕が選んだ抹茶のケーキを、ホントは妻が食べたかったなんて。。。
これはケーキに始まったことじゃない。
外食に行くときも、「中華とイタリアンどっちがいい?」
年1回の大型連休も、「山と海どっちがいい?」「北海道と沖縄どっちがいい?」
僕はいつでも、相手が選びたそうだなぁという方を予測して譲ってきた。
勝手に相手の想いを予測して尊重してきた。(つもりだった!!)
なぜだか分からないが、
自分が欲しい方は、相手もきっと欲しいに違いない、という
勝手な思い込みが発動して、僕は自分が欲しくない方をあえて選ぶことで
相手を尊重した気になっていたのだ。
ぼくのやってきたことは、つまり、『相手の不快を自分が先に引き受ける』ということ。
それによって、相手を不快にしなくて済んだという、
“事なきを得た感”を感じていたのだ。
ところが、コレが全く相手に喜ばれない。
というよりむしろ相手をがっかりさせてしまうという残念すぎる現実。
それどころか、僕はいつもオドオドして、相手の顔色を伺い、本心を決して言わない。
いるだけで、なんか付き合いにくい奴。
これが他人から見た僕の姿でした。
現実的に僕がやっていたことは、逆に周囲に気を遣わせ、心を疲れさせ、
対等な関係で一緒に何かを共有するという人生の楽しみを奪ってきたのだ。
僕に内側で起こる一番の恐怖は、“人にがっかりされること” だ。
自分の思ってる意見を言ったり、欲しいものを求めたり、やりたいことをやってみたり。
もしもそんなことをして、相手ががっかりしようものなら、僕は死んだ方がマシだ。
人に自分の意見が言えない。
好きな人に好きと言えない。
一緒にやろうと誘うことも叶わない。
好きなケーキを選べない。
『僕が自分を出せば、きっと相手をがっかりさせるに違いない。』
この信念が、結果的に周りにいる大切な人達をがっかりさせ続けているという、
これこそが本気で“がっかり”過ぎる現実。
こんなことを繰り返し続けて数十年、、、
この現実はいったい僕に何を伝えようとしているのか?
ある時、それは突然訪れたのです。
『ねぇ、どっち食べる?』
そう、2つのケーキをめぐる攻防の再来だ。
僕はいつものように2つのケーキを前に、食べたい方と、食べたくない方を吟味する。
しかし、今日の僕はパターンを変えてみた。
いつもより深読みをしたのだ。
僕が“食べたくない方”を選ぶと、妻がホントはそっちが良かった。という現実を踏まえ、
僕はあえて逆を読み、“食べたい方”を選んでみたのだ。
心から食べたい方を、人生で初めて選んだのだ。
妻は残った方のケーキを手元にとり、淡々と食べ始めた。
一瞬、僕の選んだケーキを気にしているかのような目線を感じる。
それもつかの間、
僕は初めて食べたいケーキを、食べたいだけ、食べたいように頬張るという体験を心から
味わっていた。これが、“心からおいしい~”っていう気持ちなんだ、と。
すっかり自分の世界に浸ってしまっていた。
ふと、妻の“じーっと”こちらを見る視線に気がつき、現実の世界に引き戻される。
「しまった、またやってしまったかも!」と。
妻はふと柔らかな眼差しになり、僕に一言こう言ったのだ。
『あなたが嬉しそうに食べてる姿、なんかこっちまで嬉しくなるわ』と。
僕はそのとき初めて『人をがっかりさせない』を実現することができたのだ。
ケーキをめぐる攻防が僕に教えてくれたこと。
それは、どんなに自分を殺して相手を尊重しようと頑張っても、
決して相手の期待に応えることはできないという真実。
人は本当に好きなものを、“大好きだ”と表現できたとき、
そして自分を殺さず、本当の自分に正直に生きたとき、
その内側から溢れ出す歓びこそが、周りの人を幸せな気持ちにさせるのだ。